
飯縄使い-銀の月にて舞い降りたる者-
「ただ今戻りました」
今にも崩れそうな外見をした古い日本屋敷の戸を開け放ち、咲樹はよく透る声で帰宅を告げた。
すぐに母親である志登(シトネ)が姿を現し、優しく微笑みながら咲樹を抱きしめた。
美しい咲樹の母は、呪われた体質を持つ異端児だった。
その呪いのせいで、母はこの寂しい日本屋敷から一歩も外に出る事ができない。
それに・・・一番の問題はその名前だった。
志登・・・字は違うといえど、シトネとは死体の意味である。(注:造語。本来の意味は座る時や寝る時に下にひく物)
呪われた身体を持つ母は、生まれると同時に死体の烙印を押され、咲樹の祖父に預けられた・・・。
だから、夫である父とは兄妹のようにして育ったという事なのだ。
咲樹はそんな母に対して安心させるように微笑みかけると、父の待つ居間へと足を向けた。
「失礼致します」
冷たい床に正座し、静かに声をかけ、そしてゆっくりと襖を開ける。
七畳ほどある畳の間の上座に、威厳に満ちあふれた父が咲樹を待ちわびていたかのように一つうなずいた。
咲樹は深々と一礼して部屋に入ると、ぴんっと背筋を伸ばして父を見つめた。
部屋の中に、痛い程の緊張が走る。咲樹は父が怖ろしかった。そのせいもあり、2人がいる部屋の中はひどく緊迫していた。
「・・・それで?神はどうされたのだ?」
冷たいとさえ言える眼で実の息子を睨め付け、父は低く重々しい声で問いかけた。
一瞬、咲樹が困惑したように眉をひそめる。
今まで父は、どんな事があろうとまず咲樹に労いの言葉をかけてくれた。なのに今日は・・・それがなくいきなり本題である。
この様子・質問からすると、どうやら父は昨晩神が現れない事を知っていたようで・・・。
「・・・わかりません。神は降りては来られませんでした」
しばらく沈黙した後、咲樹は軽く首を振りながらそう言い放った。
・・・何故、神は降りて来なかったのだろう?銀の光が世界を照らす時、神は必ず降りてくるはずなのに・・・。
そういえば、何故神はわざわざ降りて来るのだろう?
その理由を、咲樹は知らない。父も兄も、何かを知っているようだったが、咲樹に教えようとはしなかった。
ひどく自分という存在を拒絶されたようで、咲樹は一瞬強く唇を噛みしめた。
父にとって必要なのは自分の後を継いでくれる者だ。ならば、次男の咲樹は・・・彼に必要ではないのではないだろうか。
だから・・・何も教えてくれようとはしないのかもしれない・・・・・。
暗い考えが頭を支配する。それは咲樹の悪い癖だった。
自分は必要ではない。自分はいらない。自分はどうなろうと、誰も悲しまない・・・・・自分は・・・・
けして口では言わないが、咲樹は今までずっとそう思い続けてきた。
だから、命を懸ける程の危ない仕事も全部こなしてきた。咲樹は死など恐れてはいない。
恐れるのは・・・・自分が必要とされていない事を突きつけられる真実・・・。
「咲樹。お前に命じよう。神が降りた場所を探し、神をこの場にお連れするのだ」
唐突な言葉に、咲樹は反射的に伏せていた顔を上げた。
「し・・・しかし!神はこの世界にはおられません!どの場所に降りられようと、私には見えるはずです!ですが見えなかった!!」
「・・・神は降りられた。それは確かだ。お前は感じないのか?神がいる気配を・・・・・」
幼い子供のように首を振る咲樹を見下ろし、父は感慨深げに呟いた。
そうはいっても、咲樹には神の気配を感じる事が出来なかった。己の未熟さを突きつけられたようで、咲樹は自分の眼が潤むのを感じた。
自分はまだまだ未熟なのだ。父の・・・兄の足下にも及ばない・・・。自分は役にはたたない。
それは自分という存在を拒否されたも同じだった。
必死に眼から溢れそうになる涙をこらえ、咲樹は深々と頭を下げた。
「・・・わかりました。ならば、必ず・・・神をこの場にお連れいたしましょう!!」
半ばやけになってそう叫び、咲樹は一度も父と視線をあわす事なく部屋を飛び出した。
「あーあ。親父殿、咲樹を泣かせましたね・・・・・」
賑やかな咲樹の足音が完全に消えると同時に、隣の部屋で全てを聞いていた帝が、襖を開け放ちながら呟いた。
長男である帝は父親似のせいか身長も高く、骨格もがっしりとしている。
黒でまとめたスーツがこれ程似合う男もそうはいないだろう。
帝は押し黙ってしまっている父親の横に腰を下ろすと、胸のポケットから煙草を取り出し、口にくわえた。
「親父殿とてご存じでしょう。咲樹の力はまだ封じられたままで、本来の実力が出せきっていない事くらい・・・」
ズボンのポケットからライターを取り出し、それで煙草に火をつけ、帝はふっと表情を和らげた。
帝は8歳も離れた弟を溺愛していた。あまり態度では示さないが、いつも咲樹が危険な仕事に向かう時、陰ながら手伝ったりしているのだから。
だからこそ、そんな不安定な弟をさらに追いつめるような真似をする父が許せなかった。
ゆっくりと口元を笑みの形にかえながら、帝は一言も話そうとしない父をじっと見つめた。
「・・・今俺に入ってきている仕事は全てキャンセルです。俺は咲樹を手伝いますよ。文句は言わせない。俺はあんたの人形じゃないんですからね」
怖ろしいほどの冷ややかな声でそう呟き、帝は足音もたてずに部屋を出ていった。
部屋を出る時にわざとらしく深々と頭を下げていく所が、いかにも皮肉屋な彼らしい。
息子2人が出ていった静かな空間の中、父は・・・ゆっくりと息を吐き出した・・・・・
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